Jazzの遊び方

昨日、友人が主催しているJazzのジャムセッションに行ってきました。

ジャムセッションってのは、みんなで楽器を持ち寄って、ぶっつけ本番、その場で一発勝負で演奏をするという遊びです。
これ、Jazzを演奏する人にとって一番大事な遊びです。
みんな、これがやりたくて練習をするんですね。これができないとJazzは演奏できません。

Jazzっていうと、大人の音楽とか、昔の音楽とか、飲み屋のBGMとか、暗いとか、ダサいとか、なにやってるかわからんとか、いろんなご意見がありますが、それはさて置き。

今日は、Jazzを演奏している人が「なにが楽しくて、どうやってわけのわからん演奏をしてるか?」というお話を。。。

これを読めばJazzに関して語る蘊蓄が増えて、今よりもさらに周囲の人から鬱陶しく思われること、請け合いです♪

Jazzってどんな音楽?

Jazzは19世紀末にアメリカ黒人の間で生まれた音楽で、とか、そういったことはさて置き。

「Jazz」って言われて思い起こす音楽って、ピアノとベースとドラムを主体に、それにサックスやトランペットなどの管楽器が入って、最初になんかのメロディーを演奏した後はそれぞれの楽器が、代わるがわる分からないことを延々とやって、最後に最初のメロディーをもう一度演奏してオシマイ、って感じのスタイルだと思います。

歌の入ったJazzでも、歌手が最初と最後に歌って、その間は楽器がなんかわけのわからないことをやってるって感じですよね。

つまり「わけのわからないこと」の部分があるのがJazzで、それこそがJazzの本質なんですね。

「わけがわからない」ことをだらだらやる音楽ですから聴いていて飽きるし、つまらないのも当然です。逆に「俺はわかってるんだぜ、ふふ~~ん」とエッラソーにするオッサンとかもいるわけです。

メンドクサイ音楽ですね、Jazz。

なにを、わけのわからんことをやっちょるのか?

あのダラダラと続く、わけの分からない部分が「即興演奏」であることはご存じの方も多いと思います。

即興、つまり、その場で思いついたことをやってるんですね。

で、この「その場で思いついたことをやる」って部分が「何やってもいい」とか「自由な音楽だ」とか、いろんな誤解を生む元になってます。

Jazzの即興演奏の「自由」ってのは、色々なルールにかなり厳しく縛られてるんですね。

もともと音楽ってのは、かなり物理的な制約が多いもんで、一度始めたら終わるまでやらなきゃならない、途中で「あ、やり直し」って修正できない、全員が共通のテンポで演奏しなきゃならない、出した音が気持ちいい(協和音)か気持ち悪い(不協和音)かは物理的に決まってるとか、規則だらけなんです。

車を運転してA地点からB地点に行く時に、どこの道を選ぶかの自由はあっても、一度走り出したら勝手に道の真ん中でとまったり、反対車線を走ったり、一人だけ時速300㎞で走ったりしたら大事故を起こすのは確実。全員が一定のルールを守らないと無事に目的地には辿り着けないのと同じです。

なにも知らない宇宙人が空から車の動きをみたら「あいつらは、いったい何をやっとるのか?」と思うのと同じで、このルールを知らないと「Jazzって何やってるかわからん」ってなるわけです。

どうやって演奏してるのか

ジャムセッションでは、通常こういった楽譜を使います。

ジャムセッションだけでなく、プロがジャズクラブで演奏するときも同じような譜面を使うんですけど、楽器がいろいろあるのに、みんなが同じ楽譜を見てるって変ですよね。

それぞれの楽器用の楽譜があって、それぞれが自分の楽器用の楽譜を演奏するのが普通です。

それに「なんでこれだけで、あんなに長時間ダラダラ演奏できるんだよ?」って思うでしょ?

この楽譜に何が書いてあるかを説明するとですね、

まず五線紙に書いてある音符は、曲の基本になるメロディーです。
大事なのは、その上に書いてある英語の記号で、これが和音を表しています。

Bb△7というのは、Bb(シのフラット)から始まる長調の和音を弾いてね、という意味で、C-7と書いてあるのはC(ド)から始まる短調の和音を弾いてね、という意味です。
あ、ドレミはイタリア語で、ドイツや英語圏ではドレミをCDE~とアルファベットで表すんですよ。

ベースは、このアルファベット(ドレミをアルファベット表記したもの)を演奏して、ピアノやギターなどの和音楽器は記号の部分(長調か短調かなどを決める)を演奏するのが、基本のお仕事。

これで音楽の3要素である旋律、和音、リズムのうちの二つが決まりました。残りのリズム(と速さ)は、その場で口で伝えます。

フォークギターの楽譜もこんな感じですよね。

で、Jazzの演奏というのは、この書いてある和音をずーっと繰り返しているんです。
即興演奏の部分は、伴奏がこの和音を弾いている上で自分でメロディーを作るという「瞬間現場作曲」であって、ルールの無い好き勝手をやってるわけじゃないんですね。

つまりJazzを演奏するためには、この記号を見て「伴奏にあった音」を選び出す能力が必要になるわけで、そこで「あいつ吹けねーんでやんのヒヒヒ」って他のプレイヤーを嗤ったりして遊ぶのがジャム・セッションの楽しみです。

陰険ですね。

クラシックも同じだったのよ

この、メロディーを音符で書いて和音を記号で示すという方法を最初に譜面に残したのはバッハあたりの音楽家たちですね。バッハはぼったくり男爵のバッハじゃなくて18世紀バロック時代の音楽家ですよ。

これは楽譜として残ってるのがバッハのものであって、音楽を伝えるシステムとしてはもっと昔からあったはずです。じゃないとCDもYoutubeも無い時代に音楽を人に伝達することができませんからね。

順番から言えばクラシックもJazzと同じというより、Jazzの演奏家がクラシックのシステムを取り入れたというのが正解でしょうね。

音楽の役目

今でこそ即興演奏というとJazzの専売特許みたいに思われていますが、昔はクラシックの演奏家もみんな即興で演奏していたんです。

ショパンやリストの時代でも演奏と言えば即興演奏が主体。
新聞のコンサート評に「ショパンの即興演奏は良かったが、発表された自作曲はイマイチだった」って書かれたり、ショパンが「リストは俺の曲を元に勝手な即興演奏をしてけしからん」って怒ったりした記録が残ってます。

元々、音楽というのは即興演奏が主体だったというのは音楽の役目を考えると自然なことです。

音楽だけを座ってじっと聞くというのことがアタリマエになったのは現代の習慣で、もともとの音楽の役割は「雰囲気づくり」。つまりはBGMです。

昔の音楽家にとっての最高の就職先は、教会音楽家(バッハ)か王侯貴族の宮廷音楽家(ハイドン)になってBGMを演奏することでした。その二つが一番のお金持ちだったからですね。
その後に庶民の中にお金持ちが増えだすと、成金が集まって宴会をするサロンが流行り、そこでBGM担当をしていたのがショパンとかです。サロンのBGMだとピアノソロが丁度良いサイズだし、雇うのも一人ですむんで、サロン文化全盛の19世紀にピアノ音楽が発展したんですね。

オーケストラがあんなに大編成になったのは、少人数の貴族のために演奏してお金を貰うことから、一般庶民の小金持ちを集めてお金を稼ぐ時代になったんで、なるべく沢山集めたほうが儲かるぜ!ってことで会場がどんどん大きくなっていったからです。
当時はマイクもスピーカーもなかったんで、大会場で大音量を出すには演奏者を増やすしかなかったんですね。こうして何十人ものバイオリン奏者が同じメロディーを一糸乱れずに弾くという異常に非効率な形態の音楽が生まれました。

話をもとにもどしますが、BGM演奏がお仕事であれば、即興演奏ができなきゃ仕事にありつけないのは当然です。

教会の式典や貴族の宴会が続いてるのに「楽譜が終わったから終わり」ってわけにいかないですよね。
サロンで「ちょっとなんか弾いてよ」って言われて用意した曲ばかり弾いてたら「それ、さっき聞いた」ってクビです。

だから音楽家=即興演奏家が本来の演奏家の姿で、そこで小粋な即興演奏ができる人が人気ミュージシャンになったんです。
楽譜に残したものは、演奏家のほんの一部分。本質はその場限りの即興演奏。
今のJazzミュージシャンと同じですね。

ベートーベンの即興演奏、聴いてみたいなー。

終わらない音楽

ヨーロッパ音楽の特徴は「起承転結」つまり「何かが始まって終わる」という様式です。
学校の「起立・例・着席」の音楽。あれがヨーロッパ音楽の基本なんですね。

「そんなのアタリマエじゃん」って思うかもしれませんが、実はこれ、世界的にみるとかなり特殊なんです。

世界的には「終わったんだかどうだかはっきりしない」音楽の方が多いんですね。

たとえば炭坑節。「さぞか~し~、お月さん、煙た~かろ~」で一区切りですが、その後がつづくような、終わりなような、どっちともとれますよね。

この「終わらないこと」も音楽の大事な役割の一つなんです。

その役割とは「ずっと働かせること」。
木挽歌とか馬子唄とか田植え唄とか、みんな労働の時に唄う歌ですよね。
これ、曲が終わると仕事が終わっちゃうんで、ずーっと続くように明確に終わった感じ(終止感)を出さないようになってるんです。
こういった音楽を「労働歌」といいます。
歌を続けることで作業のリズムを合わせて作業効率を上げて、ずーっと働き続けるようにするという、なんともイヤな音楽ですね。

ヨーロッパ音楽にとってJazzが斬新だったのは、リズムの強烈さもありますが、Jazzの中に労働歌であるブルースがあったからです。
もちろんヨーロッパにも労働歌はあったんですけど、それは貧乏人の下世話な音楽であって、成金のお高く留まった人達が聴く音楽ではなかったんですけど、それが外国から持ち込まれたことで新しく聞こえて受け入れられたんでしょうね。成金は海外の目新しいものが好きですから。

また、長調だか短調だかはっきりしない音楽が多いのも、こういった民謡、俗謡の特徴です。
たとえば「かーらーすー、なぜなくのー」という「七つの子」。あれって長調でも短調でも歌えますよね。
元が教会や宮廷といった「庶民的なものを排除する」ところで発展してきた西洋クラシック音楽は長調と短調を明確に分けるスタイルが主流だったんで、こういった民族音楽的な要素が斬新に聞こえたんでしょうね。

でも現代は「終わらない音楽」の方が主流です。

その原因はゲーム音楽。
あれはゲームが続いている間じゅう終わらないように作っていますからね。スーパーマリオを思い出せばわかるでしょ?
子供の頃からゲームをやってきた人達にとっては、終わらない音楽の方が自然なんです。
今のポップスは、みんなそういった作りになってますよ。注意して聞いてみてください。

さいごに

はい、ここまで書いてきたことで、Jazzからクラシックから民謡から現代ポップスまで、それなりの蘊蓄を語れるようになりましたね。

「えー、Jazzとかお好きなんですかー。私も興味あるんですー」っていうオネェさんを誘い出して、ちょっとカッコつけたいあなた。
そんな時にこんな話をすると「うっざー」と一発で嫌われます。

ぜひお試しください。

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